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2003年7月31日木曜日
〔再録〕Kafu School News No16 「小説作法」
2003年7月5日土曜日
珊瑚集: 夜の小鳥 ポオル・ヴヱルレヱン
(L'ombre des arbres...) PAUL VERLAINE
荷風訳と原詩の対照と私註です。
荷風訳と原詩の対照と私註です。
『珊瑚集』ー原文対照と私 註ー
永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』の文章と原文を対照表示させてみました。翻訳に当たっての荷風のひらめきと工夫がより分かり易くなるように思えます。二三の 私註と感想も書き加えてみました。
原文 | 荷風訳 |
L'ombre des arbres... PAUL VERLAINE Le rossignol, qui du haut d'une branche se regarde dedans, croit être tombé dans la rivière. Il est au sommet d'un chêne et toutefois il a peur de se noyer. (Cyrano de Bergerac) L'ombre des arbres dans la rivière embumée Meurt comme de la fumée. Tandis qu'en l'air, parmi les ramures réelles, Se plaignent les tourterelles. Combien, ô voyageur, ce paysage blême Te mira blême toi-même, Et que tristes pleuraient dans les hautes feuillées Tes espérances noyées ! (Romances san Paroles | 夜 の小鳥 ポオル・ヴヱルレヱン 鶯は高き枝より流れに映るその影を 眺め 水に落ちしと思ひて、 樫の木の頂にありながら常に溺れん 事のみ恐れき。 (シラノ・ド・ベルジュラック) 霧たち籠むる河水に樹木の影は 煙の如くに消ゆ。 その時影ならぬ枝の間より何処と知らず 夜の小鳥は泣く。 ああ旅人よ。いかに此の青ざめし景色は、 青ざめし君が面を眺むるらん。 いかに悲しく、溺れたる君が望みは、 高き梢に嘆くらん。 |
[単語]
rossignol:ナ イチンゲール, 夜鳴きうぐいす
tourterelle:雉鳩
[私註]
ナイチンゲールとは鶯の一種だったんですね。しらんかった。荷風は「鶯」 と訳してますが、さすがです。
雉鳩(山鳩)は荷風もよく知っていた思い入れのある鳥。荷風塾「荷風と山鳩」 でも書きました。知っているだけに夜啼くはずがないと思ったのでしょうね。「夜の小鳥」と訳しています。
最後の "Tes espérances noyées !" を「溺れたる君が望み」としているのはあまりに直訳調にも見えますが、やはりこれでないと意味が通じなくなります。翻訳とはむつかしい作業ですね。
(荷風訳は籾山書店『珊瑚集』より、原詩は岩波書店の 荷風全集より引用しました)
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訳詩:『珊瑚集』籾山書店(大正二年版の復刻)
原詩:『荷風全集第九巻付録』岩波書店(1993年)
2003年7月4日金曜日
Le Monde ジョージ・オーウェル生誕100年と Blog
今年はジョージ・オーウェルの 生誕100年に当たるらしい(1903.6.25生まれ)。ル モンドのブロッグページ(Sur le Net) ではネットで入手できるジョージ・オーウェル関係の参考文献を列挙している。なかなか立派な図書目録である。原文テキストももちろん入手可能(グーテンベ ルグ図書館)。『動物農場』『象を撃つ』などが懐かしいが、何と言ってもすごいのは『1984』。いま読み返してもとても面白い。映画の「ブラジル」の底 本ともなった古典的名作である。あの中で「ニュースピーク」という人工言語を国民に使用させることで国民の思想統制を図るというくだりがあったが、「形」 が「内容」を決定すると言う意味で含蓄が深い。昨今流行の Blog に付いても同じことが言えるのかも知れない。
『1984』というのはSFで ある。40年後の将来社会はスターリン型の社会主義が支配する世界となっていた。国民は「ビッグ・ブラザー」と呼ばれるリーダーに日常生活すべてを監視さ れながら生きる。絶え間なく戦争が続いているらしい(本当のところは分からない)。ともかく戦争に勝利するためには国民はすべてを犠牲にしなければならな い。ケッサクなのはこの政府は古くさい英語を廃止して、合理的で例外が一切ない短くて能率的な言葉「ニュースピーク」を導入しようとしていること。真の目 的は国民の思想統制である。人間は言葉で考えるものであるから、言葉の構造が規制されるとその構造内でしか思考できなくなるのだ。いまだによく引用される テーマである。Google で調べると国語改革反対論者がオーウェルを引用して次のような論文を書いているぐらいだ。御笑覧↓
『1984年』 より「ニュースピークの諸原理」
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/bunken/1984.html
でもこのことからふと思いついたのであるが、今流行の Blog についても同じようなことが言えるのかも知れないということ。「ニュースピーク」はSF世界の国民にネガティブな影響を及ぼすのであるが、Blog は特に日本人の思考パターンにとっては逆によい影響を与えるのかも知れないのだ。Blog 形式の特徴としてタイトル、アブストラクト(要約)、本文の三つに分かれると云うことが重要である。
タイトルと本文は特にめずらしいものではない。問題は 「アブストラクト(要約)」。これは日本人はあまり書かないし学校の国語の授業でも要約の訓練は受けないのが普通だ。新聞記事のリードに当たるものだが、 新聞でも記者ではなくたいてい編集者が付ける。それで普通我々は本文だけを書くのであるが、多くの場合なかなかエンジンがかからないためか起承転結の 「起」の部分がだらだら続いてしまうことが多い。日本人の論文が分かりにくいと評される理由の一つだ。
ところが blog ではこれ(要約)を一番最初に書かねばならない。後から書いてもいいが、これが本文の一番上に表示されるので出だしてとしてまずこれを書くことになる。 XML/RSS でフィードされるのもこの部分だ。自分の主張をまず明確にし、本文を読んでもらうためのキャッチとしなければならない。この点欧米人はこれがうまく、よく できた英語の新聞記事では最初の5行を読めばだいたい全部分かるように書いている。新聞記者ばかりでなく学校教育に於いてもそういうのが重視される。 blog とはまさにそういう言語文化に則ったものである。
日本の「随筆」と欧米の「エッセイ」の違いは「アフォ リズム(警句)」の有無であると云われる。この一ヶ月いろんなサイトを拝見しての印象であるが、従来型の日記サイトは基本的に日本の伝統的「随筆」に近い ものが多いのに対し、blog tool で書かれるページと文章は、その形式上の特徴から、自ずとアフォリズムに富んだものとなるようである。これはネットで使用される日本語におよびそれを書く 日本人の思考方法にとって革命的な(大げさかな)変化となるのかも知れない。形式が内容を規定するのである。
『1984年』 より「ニュースピークの諸原理」
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/bunken/1984.html
でもこのことからふと思いついたのであるが、今流行の Blog についても同じようなことが言えるのかも知れないということ。「ニュースピーク」はSF世界の国民にネガティブな影響を及ぼすのであるが、Blog は特に日本人の思考パターンにとっては逆によい影響を与えるのかも知れないのだ。Blog 形式の特徴としてタイトル、アブストラクト(要約)、本文の三つに分かれると云うことが重要である。
タイトルと本文は特にめずらしいものではない。問題は 「アブストラクト(要約)」。これは日本人はあまり書かないし学校の国語の授業でも要約の訓練は受けないのが普通だ。新聞記事のリードに当たるものだが、 新聞でも記者ではなくたいてい編集者が付ける。それで普通我々は本文だけを書くのであるが、多くの場合なかなかエンジンがかからないためか起承転結の 「起」の部分がだらだら続いてしまうことが多い。日本人の論文が分かりにくいと評される理由の一つだ。
ところが blog ではこれ(要約)を一番最初に書かねばならない。後から書いてもいいが、これが本文の一番上に表示されるので出だしてとしてまずこれを書くことになる。 XML/RSS でフィードされるのもこの部分だ。自分の主張をまず明確にし、本文を読んでもらうためのキャッチとしなければならない。この点欧米人はこれがうまく、よく できた英語の新聞記事では最初の5行を読めばだいたい全部分かるように書いている。新聞記者ばかりでなく学校教育に於いてもそういうのが重視される。 blog とはまさにそういう言語文化に則ったものである。
日本の「随筆」と欧米の「エッセイ」の違いは「アフォ リズム(警句)」の有無であると云われる。この一ヶ月いろんなサイトを拝見しての印象であるが、従来型の日記サイトは基本的に日本の伝統的「随筆」に近い ものが多いのに対し、blog tool で書かれるページと文章は、その形式上の特徴から、自ずとアフォリズムに富んだものとなるようである。これはネットで使用される日本語におよびそれを書く 日本人の思考方法にとって革命的な(大げさかな)変化となるのかも知れない。形式が内容を規定するのである。
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